■奥出雲町に今も残る、スローで美しいくらし。 2/3■

戦前の奥出雲町、そして、マクロビオティックとの関係。

店長が親戚の方から、戦前ころの話を伺ってきた。

奥出雲町の地域は、雲州そろばんとたたら製鉄(砂鉄から最先端の製鉄技術でも不可能な純度の高い鋼鉄を製造する古代からの技術)、そして豊潤な土地での農業で豊かに栄えていたらしい。
町の中心には、理想に燃える牧師さんたちによって作られた相愛教会という教会(現在は文化財になっている)、それに隣接するクリスチャンの幼稚園や小学校、病院があった。県境の町なので、広島や岡山から先生を呼んで、当時からおけいこごとを皆さかんにやっていた。華道、茶道、乗馬も…。それに映画館や、芸者置屋もあって、夕刻になると、チントンシャンと三味線の音が響いていたとか…。

戦争が始まるまで、奥出雲町の人々はそんな心豊かでおおらかな生活を楽しんでいたみたい。

実はそんな時代、この町で、なんと50年前にアメリカに渡り、「マクロビオティック」を広めた久司道夫先生の奥さま、故・偕子(ともこ)さんが生まれた(正確には、旧・横田村出身)。

今日本で流行しているマクロビオティックの主流は、欧米から逆輸入されているこの「クシ式・マクロビオティック」であり…その基礎を作ったのは、誰あろう、この偕子さんの、「奥出雲町」の料理だった。
久司先生は、はっきり「現在のマクロビオティックのルーツは、奥出雲町、旧横田町である」とおっしゃっている…。

次のページでは、奥出雲町の現在のすがたと、わたしたちの思いについて語ります。

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